親父独り言

「団塊の世代の人達」と 私

2020.11.17

親父の日常

若い人達の中には「団塊の世代」とは聞いた事があってもよく判らない人も多いと思います。

団塊の世代とは、終戦後間もない昭和22年から昭和25年頃にかけての第一次ベビーブームに生まれた人達の事を言います。

私は昭和34年生まれなので 私より9~12歳位年上の人達です。

 

「団塊の世代」などと仰々しい呼び方は去年亡くなられた作家の堺屋太一さんが名づけ親らしいのですが、この「塊」が戦後の日本の経済の発展を牽引してくれました。

そこら辺の詳しい話はインターネットで検索してもらうとして・・・。

私の印象では、「石を投げれば団塊の世代に当たる」ぐらいにこの年代の人たちと多く接してきました。

先ずは私の兄貴が昭和25年生まれで、小さい子供の頃から「ごまめ」で兄貴とその友達に付いて遊んでいました。

その影響で、北山修・加藤和彦・はしだのりひこの「フォーククルセダーズ」や 杉田二郎 の反戦フォークソングを自分の世代と錯覚するくらいよく聴いていました。

・・・加藤和彦さんと、はしだのりひこさんが亡くなられた事は非常に残念に思います。

そして気が付けば、学校の先生・ボーイスカウトでお世話になり、影響を受けた先輩方・仕事でお世話になった方々など・・・思い起こせば 子どもの頃から大人になってからもいろんなところで「団塊の世代」の方々にお世話になってきました。

 

しかしここ数年、うちの職人達や現場で関わる人達が年々私よりも若い人ばかりとなり、いつの間にか自分自身に年寄りのレッテルを貼っていました。

還暦も過ぎた事やし、いつまでも第一線で現場に出ることは体力的にも職人達との人間関係的にも好くないので、仕事の進捗状況に影響が無いかバランスを見ながら通常はあまり出ないようにしています。

ちょっとした仕事や雑務を「体力維持とボケ防止」として私が担当するようにしています( ^ω^)・・・

 

そんな中、地元のちょっとした町屋仕事に行った時の事です。

・・・本日の話のメインはココからなんです。・・・もう少し( ^ω^)・・・。

地元八幡市の工務店からの依頼で、地元のI様邸にペンキ塗りに行きました。

この家は旧家で、2年越しで細く長い大規模修繕をしています。

・・・I様邸とは 実は古くからの友達の家なんですが・・・

本日現場に来ていたのは大工さん・左官屋さん・タイル屋さん・そして私ペンキ屋さんです。

仕事をしていて、暫くすると何となくいつもと違う雰囲気に気づきました。

それは 此処にいる4人の中で私が一番年下だということです。

なんだか急に嬉しくなっていろいろと話しかけたら向こうもペラペラと喋ってきてくれました。

私以外の3人は先ほど話をした「団塊の世代」の人達でした。

休憩中の話の内容は「ココが痛い」とか「何回手術した」などの話題で、皆さん持病を持ちながらマイペースで仕事をしている様子でした。

戦後の貧乏な時代から荒波にもまれて、豊かな日本を築く礎となってきた事などを一言も語らずに「蛇が怖い」とか「ムカデに2回刺された」とかの話をしている先輩方を見習って、体が動くうちは体力維持とボケ防止」の為に頑張りたいと思います。

 

 

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